さて、突然ですが、皆様は、強迫性障害という病をご存知ですか?
繰り返し手を洗うだとか、何度も何度も火の元の確認を行うだとか。
必死で隠す人も多いですから、身近にそういう人はいなかったかもしれませんが、聞いたことはあるのではないでしょうか?
この病はけっこう、きついのですが、私は、小学校の高学年からその症状が出始めました。
大学入学を機に激しい症状は徐々に治まっていきましたが、自分が取り返しのつかない失敗をおかしてしまうのではないかという恐れは残ってしまいました。
なかでも、誰かを傷つけてしまうのではないか、あるいは命を奪ってしまうにではないかという加害恐怖が非常に強かったのです。
それは、幼い頃にさかのぼっても、原因をみつけることなどけしてできないと言い切れる程のものでした。
そんな理不尽な恐れを経験したことのある方であればわかって頂けると思いますが、精神世界の本を読み輪廻転生という考え方を知ったとき、原因は前世にあるんじゃないかと思いました。
強迫性障害のピークだった大学受験後には心療内科に行きましたが、先生が「一応薬出すけど効かないよ」と言っていらしたような時代です。
また、すがるものが欲しくて大学は立教のキリスト教学科に入りました。
でも、学問として学んで信仰を得るのはやはり無理でした。
精神障害者の通所施設で職員として働いていたとき、ひとつの失敗をきっかけに激しい感情に翻弄されるようになった私は精神世界に助けを求めました。
いろいろなワークショップに参加して、たくさんのセラピーを受けました。
そのなかで、「あなたは身体から入ったほうが良い」と言うセラピストに出会いました。
でも、身体には全く問題を感じていませんでしたから、数年は無視していました。
けれど、仕事を辞めて美術学校の学生になったとき、心に余裕が出来たからでしょう。
ちょっと受けてみようかなという気になったのです。
そして、ボディーワークを受け始めた私は、自分の身体がひどく居心地の悪い状態であることに初めて気づいてしまったのです。
それが、32歳の時でした。
産まれた時には左目が内斜視で、頭も身体もかなり歪んでいました。
目の玉の位置を調整するために何度か手術を受け、眠れぬまま手術室に入ってしまい苦しい思いをした記憶も残っています。
ボディーワークによって、居心地が悪く逃げ出していた身体に再び連れ戻された、そんな感じでした。
でも、一旦耳を傾け始めると、身体は、緊張や痛みを次々と浮上させ、私が気づくと手放していきました。
精神障害者の通所施設で働いていた頃は、精神分析学の勉強会に出たり、常に頭で解決しようとしていました。
けれど、セラピストが言ってくれた「考えるのではなく、感じてごらん」という言葉の意味がわかるようになるにつれ、いつしか私は、ボディーワーカーになりたいと思うようになっていきました。
マッサージ師の養成学校で3年間学び資格を取得し、多くの方の身体に触れさせて頂き来年で10年になります。
数年前には、数冊の本との出会いで、自分が体験してきた生きづらさは、幼い日のトラウマによるところが大きかったことを知るという、大どんでん返しの体験をしました。
持って生まれた性格だから、強い恐れは一生背負っていくしかないと諦めていた自分が、今こうして人生を心から楽しめているのは、出会ったセラピストたちのおかげでもあります。
感謝の気持ちを忘れずに施術を行っていきたいと思います。
2021年6月13日
秋山 晴枝